写真が苦しくなる
写真を撮るのが苦しくなる|誰もが通る道かも
写真が苦しくなる・・・Leicaに恋してのAndyさんのnoteを読んでいてふと私も考えてみた
面識はありませんが、私がライカを物色していた時に、ふと目に留まったyoutubeがAndyさんのLeicaに恋してだった。そして背中を一押ししてもらい、私がライカを手にすることになった。
自分もそんな経験あると考えてみる。
実は自分もその頃、写真を撮るのが飽きた訳でも無い、写真を撮るのが苦しいと言うよりも、撮るのが億劫になってました。
私の場合仕事で写真を撮る事も多いのですが、そこにはお客様の求める通りの写真を撮るのが仕事です。
そのうち、仕事以外で写真を撮る事が無くなって来ました。出かける時にカメラすら持たないで出かけ、
気になった物はスマホで撮るその繰り返しになって、当時やっていたインスタすら更新さえしませんでした。
理由は、ちゃんとした写真が撮れてなくてインスタに載せられない。今考えればなんてバカな考えでしょう?
自分の撮った写真に共感してもらうダケの為に写真を撮っていて、何を撮っていいのか分からなくなる。
写真を撮るのが苦しくなる。
脱出のきっかけ
このブログにも書いた通り、姉のライカQ2を借りて、試し撮りで出かけた。
映える写真・整った写真・人に共感してもらえる写真、そんな考えを一切もたず、写真を撮りました。
途中でお茶しながら撮影した写真を見てみると、その写りにまず感動する。
その足で、光と影、明るい部分と暗い部分を意識して撮ってみる。
明暗の暗の部分に今までのカメラやレンズでは写らないモノが写っている。衝撃でした。ただ楽しい。
そこから自分でもM型ライカを購入して、休みの日は必ず持って歩くようにした。
何でもいいとにかく撮りたいモノや風景にカメラを構えてピントを合わせてシャッターを切る単純な行為ですが、ピンがずれていようが、黒ツブレしていようがなんとも愛おしい一枚が写っている。家のベランダの物干し竿、洗濯バサミ・テーブルの上の塩の入ったビン、キンチョール、水道の蛇口
等々。
私の場合新しい機材ってのが脱出のきっかけだったかも?
でもこれは危ない気がする。スランプの度に散財しなければならなくなる。
きっかけと言うだけで、脱出まで至ってません。




インスタに自分の食ったもの載せて何が楽しいんだ?なんて穿った見方をしていた頃もありましたが、
ズミクロンでテーブルフォトを撮ってみる。露出アンダーで偶然撮れた写真が綺麗だこと・・・

写真を撮るのが苦しくなくなった。
SNSに写真を掲載する行為
思い起こせば父親にカメラを貰い、フィルムカメラで撮って現像した写真は誰の目にも晒されることも無く、消えてなくなっちゃいました。
今は、写真をブログに載せたりインスタや他のSNSに載せたりして、誰かの目に触れる機会がある。ポジティブに考えれば嬉しいことじゃない?何より撮った写真が残る。
私にとってインスタは写真の展覧会です。
あ~この人上手だなぁ。何処で撮っているんだろう?いつも楽しい文章載せていてそれ読むのが楽しみ。友人は今こんなことしているんだとか、SNS疲れとか言いますが、あれはインスタの場合、いいね!もらえるであろう写真を一生懸命にアップしなければならない使命感疲れだと思います。
別に、休みたければ休めばいいんですよ。見なければ見なくていい。
これから
写真家さんのように作風を統一する。自分の色やモノクロだとか被写体とか。
上達したければ写真家さんの作品を多く見なさい。と言われますが、
実は殆ど見ていません。私の場合絶対にその方の作風に引っ張られて同じように撮りたくなるから。
そしてまた苦しくなる。
そんなことはどうでもいいです。(そこが私の写真の腕が伸びない原因かもしれませんが)
写真を撮ることが苦しくなければそれでいい。長く続けられれば嬉しい
写真を撮るのが苦しいから脱出できたのか?
実は、たまにこの病気が再発します。これは良くはなるが治らない病気なのかもしれません。
そんな時は、気分の上がる機材と、行く所を決めて、何でもいいから数枚の写真を撮る。
撮っているうちにだんだんと気分が上向いてきたらしめたもの。
誰も見ていないかもしれませんが、このフォトブログに写真を載せてみる。これを繰り返してます。
写真を撮るのが苦しい病と付き合って行く。
趣味は何ですか?と聞かれたら、カメラと釣りです。って答えてます。


